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[NEWトピックス]〜イネス・リグロン アーカイブ〜

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イネス・リグロン

今月3日、東京国際フォーラムで開催された「ミス・ユニバース」日本大会。
過去最多という4,200名の応募者の中から勝ち残った10名のファイナリストが、「南国の島」をテーマに華やかなステージを披露した。

 06年に世界大会で2位を獲得した知花くらら、07年同大会で優勝を果たした森理世の活躍により、日本女性の美しさが、今、世界で注目を浴びている。 この立役者となったのが、ミス・ユニバース・ジャパンのナショナル・ディレクターを務めるイネス・リグロンである。 外見の美しさだけでなく、健やかさや知性、立ち居振る舞いのすべてが女性の美しさをつくると信じ、情熱的な指導で数多くのファイナリストたちに「ママ」と慕われる存在である。
フランス・パリ生まれ、南仏モンペリエ育ち。
幼いころから美への関心が高く、美容学校卒業後、21歳で自身のビューティ・センター&スパを開業した。その後、スペインへ移住し、美容機器の販売など美容業界のキャリアを重ね、31歳で2度目の結婚により香港に移住。
IMG Modelsのアジア地域ディレクターとして活躍するとともに、自身の会社インター・ボーテ・グループを設立して世界トップレベルのモデルをアジアへ招致した。1998年、35歳でミス・ユニバース・ジャパンのナショナル・ディレクターに抜擢。2007年、48年ぶりに日本発のミス・ユニバースを誕生させた。
同年、ベスト・ナショナル・ディレクターにも表彰されている。目標は世界一の日本人女性を育成すること。
 華麗なキャリアだが、常に順風満帆だったわけではない。
幼少時代を過ごしたモンペリエでは、転校生という境遇もあって「ゴミガール」と呼ばれて長くいじめにあっていたという。
早くから自身のサロンを開業したが、とりたてて裕福であったわけではなく、借金をしての開業だった。幼い子供を抱えて、離婚を経験したこともある。
現職に就いてからも、慣れない日本で、ミス・ユニバースを誕生させるまでに10年という短くはない年月を費やしてきた。教え子の親と意見の相違があったり、イネスが目指す美しさは日本的ではないと批判されることも多かったという。だが、いじめや離婚を乗り越えた経験が、彼女に強さとハングリー精神を与えたのだと彼女は言う。

「成功はいつも、強い願望や執着心の先にある」――。

そのことを、彼女は常に自ら実践し、体現してきたのである。

食生活からメイクアップにエクササイズ、パートナーとの時間を大切にすることなど、イネスが提唱する美しさのための細やかなアドバイスは、いつも明るい笑顔を絶やさない彼女自身の魅力とともに、今、多くの女性たちを惹きつけている。
ミス・ユニバースの華麗なパフォーマンスの影で、ファイナリストたちの内なる美を育て、支えてきたイネス・リグロン。彼女こそ、美のために生き、輝き続ける真のビューティスタなのである。

 

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2008年04月11日 15:19に投稿されたエントリーのページです。

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